INTERVIEW
2005-09-15
恵比寿・渋谷川沿いに一軒屋再生店「coci」がオープン!
恵比寿・渋谷川沿いに一軒屋再生店「coci」がオープン!
オーナー、商空間プロデューサー・杉浦幸氏に聞く、
「商空間プロデュース」と「飲食店経営」
船橋の「TOKYO-BAY ららぽーと」や大阪・梅田の「イーマ」をはじめ、数多くの商空間プロデュースを手掛けるC.P.Center代表取締役、杉浦幸氏。99年以降、恵比寿「ura.」をはじめ、5店の飲食店をオープンさせている杉浦氏は今年8月21日、恵比寿の渋谷川沿いに新店「coci」をオープンさせた。 杉浦氏の商空間プロデュースのこれまで、そして飲食店経営についてインタビューした。
■広告ディレクターから商空間プロデューサーへ
編集部: 杉浦さんは以前、浜野商品研究所にいらっしゃったんですね。 杉浦氏: この仕事を始めて18年になります。バブルが終焉を迎えつつあった87年から独立するまでの5年間、日本の商空間プロデューサーの先駆け的存在と言われる浜野安弘氏が代表を務めた浜野商品研究所に所属していました。それ以前は広告関係やエディトリアルなど紙媒体の仕事に就いていたんです。 編集部: なぜ、広告の仕事から商空間プロデュースの仕事に移られたのですか。 杉浦氏: 紙媒体って結局、“二次元”の表現じゃないですか。あくまで時代時代の空気を切り取るだけで、時代の経過とは無関係のものですから。でも、そもそも人は三次元の世界に生きているわけですよね。だったら2Dではなく3D、つまり“時代の変遷に合わせて作り上げていくものに携わりたい”と考えたんです。そして、広告の仕事はなによりまず商品ありきで、それをいかに見せるかが問題とされるだけの仕事でした。商品が好きでも嫌いでも関係がないし、広告表現も時代性を切り取っていくだけだった。徐々に心の中にフラストレーションが蓄積していったんです。 “ゼロベースから、どこにもない価値を作る仕事”を探し始めたところ、空間を含んだ“商空間プロデュース”という舞台を見つけたわけです。 編集部: どのようなきっかけで浜野商品研究所に入ったのですか。 杉浦氏: 自分でプロフィールを作って、浜野商品研究所に持ち込んだんですよ。当時はワープロがやっと出始めた頃でしたからワープロで文字を打って、あとはハサミやノリで切り貼りしてプロフィールを作りましたね。 当時は、商空間プロデュースなどという言葉は一般的ではありませんでしたし、不動産関係のような、なにがなんだかわからない会社に入ったということで、親には当時「うちの娘はヤクザになったんだ」と悲しまれましたよ(笑)。 編集部: 仕事は、まずどなたかの下について覚えていったのですか。 杉浦氏: いえ。いきなり、資生堂が手がけた高級スポーツジム「ホロニック青山」のプロジェクトを担当させられたんです。プロデュースの仕事に必要な能力って要は“勘”なんですね。いま思えば、幸い私は会社の方に勘がいいやつだと見込まれたんだと思いますね。 編集部: いきなり大きなプロジェクトを担当するわけですね。 杉浦氏: なにせ時代がバブルでしたから。スポーツジムの年会費も何百万という額だったように思います。 その後も、飲食店のプロデュースから、ナショナルの冷蔵庫の商品開発、三井不動産のCIなど、まさにマルチになんでもこなしました。景気のよかった時代ですから、商業施設の計画も企画だけ、コンペだけといった仕事も少なくありませんでしたね。 編集部: なんでもマルチにできてしまうものですか。 杉浦氏: 当時の私はノーと言わない人間でしたから。当然、新しいジャンルに取り組む際はそれなりに勉強はしました。でも私のやり方は、そのジャンルにどっぷりと浸かるのではなく、まず客観的に大枠を押さえるんです。 そうすると逆に中にいる人には見えない“こうあるべき論”や“ニッチな部分”が見えてくるんですね。 編集部: 客観的な視点で隙間を見つけると。 杉浦氏: はい。でも勉強は当然として、一番大切なのはやっぱり勘だと思いますね。普通の人の生活感覚を大切にしながら、自分のセンスで企画すること。これが大事だと思います。もっともこういう仕事って、あまりかっこよ過ぎることをやっても仕方ないんですよ。間口の広い、より多くのお客様に訴求できるチャネル作りには、引き算も必要になりますから。もちろん、その時代の感覚は把握しつつ、ビジネスモデルを作っていましたけどね。 編集部: さまざまなプロジェクトを担当し、5年後に独立されるわけですね。 杉浦氏: 92年でした。すでに人脈はできていましたから、プロジェクトごとにネットワークを組めば、会社にいた当時と同じ仕事ができる環境は整っていたと思います。 編集部: プロデューサーという仕事はプロジェクトの企画の段階から入るわけですか。 杉浦氏: プロジェクトによって様々ですね。独立してからは、スポーツセンターのリニューアル計画や、新潟空港の商業施設開発、トヨタのカーディーラーの新業態開発、病院のC.I.、ショッピングセンターやファッションビルのプロデュースなど、様々なプロジェクトに様々な関わり方をしてきました。 しかし、担当するならやはり、まったくの更地からやる方がいいですね。施設ができてからもトータルにフォローできますから。一度関わった以上、責任を取れた方がやりがいも持てますし。まあ、そうはいっても、プロデュース業は請け負い仕事。どこからどこを担当するかはお客様次第です。デベロッパーサイドがおいしいところを持っていくケースも少なくないですしね(笑)。 オープン後もずっと関わらせていただくケースもありますが、完成してしまえば終わりになる仕事多いですね。中には企画で終わりという仕事も少なくありません。フラストレーションはたまりますよ。これが“リテイルビジネスの実践の場”として飲食店を経営しようと思った一つのきっかけにもなっていると思います。 編集部: 企画だけでなく実際に店舗を経営をするということですね。 杉浦氏: 依頼されて作るだけじゃなくて、リアリティをもってビジネスを成すことは、プロデュースの面にも役立つと考えたんです。そうでないと差別化できない時代であることは明らかですから。口で、ああだこうだ言うだけでプロデューサーが務まるいい時代はとっくに終わっていますからね。 私たちは“いい時代”の次の世代と言えるかもしれません。あくまでリアリティが問われる時代だと思いますよ。 編集部: そのような状況はいつごろからでしょうか。 杉浦氏: そうですね、いまから7、8年ぐらい前、97、98年頃からでしょうか。あるカリスマ的な一人の人間が一方的な視点でプロデュースするのではなく、違う立場の人間がインタラクティブに歩み寄って企画を立ち上げることでプロジェクトに厚みがでてきた時代だと思うんです。 編集部: 異なる視点を持った人が歩み寄った結果、厚みがでたのですね。 杉浦氏: 時代的に見て、バブルの恩恵をそれほど与らなかったけれど、乗り越えた世代の人たちがその中心にいるように思います。 私もその世代と言えますね。振り返ってもバブルっていったいなんだったんだろうと思います。あまり思い出はないですよ。みんなが同じ価値観を持って、同じ方向を向いていたので薄い時代だったのでしょうね。 編集部: バブルを経て、インタラクティブに歩み寄り始めたわけですね。 杉浦氏: 例えば、現在進行中の案件だと、以前デベロッパーのコンサルタントの立場だった私が、当時テナントに入っていた企業の役員だった方と一緒に立ち上げているプロジェクトがあります。こういう組み方をすれば、どうしたって厚みがでますよ。 一般的に商業空間の運営は、デベロッパーの利益、テナントの利益、どちらに偏ってもいいプロジェクトにはなりません。双方のバランスを取ることが最も重要になります。その両サイドを知っている人間が一つのプロジェクトを作るんですから、強いですよ。 ■リテイルビジネスの実践としての飲食店経営 編集部: 飲食店を出店したのは99年ですね。 杉浦氏: 人生って、どう転んでも一回限りですよね。結局、請け負いの仕事というのは自分の時間の切り売りじゃないですか。当時の私はすでに、自分の力が試せてなおかつ、それなりの結果が得られて満足できる時代は卒業していました。限りある人生なら、もう少し納得のいく仕事をしてみたい、たとえリスクを伴っても、と考えたんです。そこで99年に事務所のあったビルの地下1階に「dish&books」をオープンさせました。 この店舗は後に同じのビルの3・4階に移転し、「CAFE&BOOKS issue」となりました。店内では若手作家の洋服や絵本の展示会なども開催していますが、おかげさまで好評で、10月まで予約が埋まっているような状況です。 編集部: 次にオープンさせたのは恵比寿の「ura.」ですね。 杉浦氏: オープンは2000年です。28坪ですから「issue」より本格的な飲食店と言えます。立地的にもいろんな人種の人間が生活している場所でしたから、どのようなモチベーションでも好きな時間にお客様に来ていただける、いつでもフルメニューを提供できる店、というコンセプトに掲げました。 立地的には当時は今ほど恵比寿が発展していませんでしたから、人がそれほど歩かない裏通りでした。裏通りをいつか人々がそぞろ歩く通りになる「きっかけ」になればと敢えて「ura.」という店名にしました。様々なお客様にご利用いただいていますが、中には毎日来て頂いている白髪の紳士の方もいらっしゃいますから、掲げたコンセプトは具現化できていると思いますよ。 編集部: 次は大阪ですね。 杉浦氏: 2002年、大阪・梅田にオープンした複合商業施設「イーマ」のプロデュースを手掛けましたが、その中に「cafe&books biblioteque」をオープンさせました。自分がプロデュースする商業施設に出店というかたちで参加すれば、プロデュースが本当の意味でリアリティを持つと考えたんです。アート&デザイン本などの物販併設型の店舗であるとともに、マンスリーライブなども開催していますよ。 編集部: 2003年には青山に「Suna」をオープンさせていますね。 杉浦氏: モロッコやスペインのバルをイメージした店舗です。20坪ほどですが、外国人向けのメディアに記事がのることが多く、多くの外国人客で賑わっていますよ。今では、恵比寿近辺にもスペイン系のバル業態が何店かオープンしているようですね。
そして、2005年の8月にオープンしたのが「coci」ですね。 杉浦氏: ご縁があって、渋谷川沿いの一階がスナック、二階がお住まいだった二階建て物件を紹介していただいたんです。躯体は当時のまま、外壁は消防法に合うよう手直しして「coci」をオープンさせました。この店は“日本人の暮らし”をコンセプトにしています。昭和30年代には、日本人ならば世代を超えて誰しもが共感できる“ちゃんとした暮らし”があったと思うんです。庭にはちゃんと土や木があって、食卓には採れたての野菜なんかがちゃんと並んでいて、といった時代ですね。そんなDNAを後世に残したいと思ったんです。そのため、環境はすべて木造にしました。木製のサッシをはじめ、全てナチュラルなテクスチャーのあるものでまとめています。がんばらなくていい雰囲気ができたと思いますよ。 編集部: メニューはいかがでしょうか。 杉浦氏: これまでの店舗では洋もののメニューが多かったんですが、オリエンタルを意識したメニューを揃えました。弊社のタイ人のグラフィック担当者の意見なども参考にしながら、あまり作為的ではなく、できる限りフラットなメニューを心がけました。 編集部: 近所にはライブハウスの「リキッドルーム」などもあり、近隣は賑やかになりそうですね。 杉浦氏: なんといっても店の目の前に流れている渋谷川の抜けた感じが、ありだなと思ったんですね。坪数は30坪で客単価は4000円程度を想定しています。まだ始まったばかりですから、静かにオープンして、徐々に盛り上げていきたいと思います。
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